世界的に普及したピラティスの意外な歴史とは?

女性をはじめ男性やアスリートにも人気のピラティス。日本においても実施する人の数は徐々に増えてきていると同時に、指導者の数も増加しています。このピラティスの歴史は約100年を経過し、現在のように一般の人々に知られるようになりました。今回は、そのピラティスというエクササイズが生まれた経緯を中心に私がなぜピラティスに関わることになったのかなどご紹介いたします。


目次

  1. 自己紹介と私がピラティスに惹かれたきっかけ

  2. ピラティス誕生

  3. ジョセフ・ピラティスとは

  4. 「コントロロジー」

  5. 怪我のケアとしてのピラティスのはじまり

  6. 「10回で違いを感じ、20回で見た目が変わり、30回で体のすべてが変わる!」


1. 自己紹介と私がピラティスに惹かれたきっかけ

皆様 こんにちは! ビーキューブ 代表の上泉渉です。

STOTT PILATES® リードインストラクタートレーナー カナダ本部でピラティスを学び、世界に50,000人の指導者のコミュニティーを有するSTOTT PILATES®︎のアジア初のリードインストラクターに任命されて以来、指導者の養成、また講師陣のメンターとして国内は勿論、アジア地域で活動。同メソッド諮問委員として世界に届ける、リハビリテーションへのピラティス活用のコンテンツ開発に協力。 拠点とする大阪で、指導者養成校 ZONE-Academyを運営、ピラティス専門スタジオ ビーキューブ®️を主宰。


今回は、私とピラティスの出会いや、ピラティスが現在のように社会的に知られるようになるまでの歴史についてご紹介します。 私は現在、大阪を拠点にピラティス専門スタジオ ビーキューブ®️及びピラティス指導者養成校 ZONE-Academyを運営する傍ら、STOTT PILATES®︎におけるアジア初のリードインストラクターとして、指導者の養成や講師陣のメンター、プログラム開発なども行っています。


人のムーブメント(身体動作)の神秘と美しさに魅せられてからずっと、その「不思議」と「魅力」の謎にせまり、掘り下げる日々です。

それでは、なぜ私がピラティスに興味を惹かれ、現在に至ったかを皆さんにご紹介しようと思います。実は、私のキャリアのスタートはピラティスではなく医療でした。 日々、白衣に袖を通し、柔道整復師として暗中模索の中、救急救護、スポーツ外傷、急性外傷から不定愁訴まで対峙するところからはじまりました。


そんな折に海外から公演で訪れたパフォーマーや、国内アイドルグループなどのツアーをサーポートする貴重な経験させてもらいました。彼らに共通していたのは、「パフォーマンスをさらに良くするためにはどうすればよいか?」という改善へ参加する自助の姿勢でした。

プロ意識が故の当たり前、といえばそれまでなのかもしれませんが、施される治療だけではなく、主体的に参加する治療を渇望する様子が印象的でした。


では、私自身はどうだったか?というと、パフォーマーと同様の思考はあったのですが、具体的な「方法」となると、研究すべき未開の地でした。そこで当時、先人たちの取り組みにヒントを求めて色々と調べていた時に行き当たったのがピラティスでした。

限局的な対症療法でもなく、慰安的な目的の徒手施術とも異なる、何か運動することによって健康になる術を求めていたあの頃の私にピッタリはまりました。(徒手は普遍性と重要性、「手当て」の尊さを認識した上で。。。)

それでは、私がハマったピラティスとはいったい何なのか?どのような歴史(経緯)を辿って現在に至るのかを皆さんにご紹介いたします。


2. ピラティス誕生

現在、ピラティスの世界市場規模は、約1兆円で1200万人の愛好者がいるとも言われています。 今では世界中のセレブやアスリートがピラティスを行うことで、多くの人に知られるようになってきました。


一般的に、ピラティスは新しいエクササイズと捉えられているようですが、実は今から約100年も前となる、20世紀前半にジョセフ・ピラティス(以下ジョセフ)という一人の男性によって開発された歴史あるメソッドであることを知っている方はまだまだ少ないのではないでしょうか?


ジョセフは独自の身体調整法を元に、体系立てて身体と心の総合的なバランスを生み出すことを目的としたこのリハビリ運動を『コントロロジー』と称し、提唱しました。

現存する様々なコア・トレーニングといわれるものは少なからず、彼の考え方に影響を受けている、とする研究者もいます。


3. ジョセフ・ピラティスとは

それでは、ジョセフがどのようにしてピラティスというエクササイズを開発するに至ったのかを彼の生誕からさかのぼってご紹介していきます。


ジョセフは、1880年ドイツで生まれました。幼少期は病弱で、くる病や喘息を患っており、これらの病を克服する目的で健康増進に取り組んでいたそうです。その際に洋の東西を問わず、東のヨガや瞑想、西の古代ギリシャやローマの屈強な肉体美をつくった運動法などを参考にしたと言われます。


この運動の効果により健康で筋肉質な青年となったジョセフは体操選手になるべく鍛錬を重ね、それがサーカス芸人のキャリアにつながっていきます。 当時はムキムキが好まれた時代ではなかったことを考えると、ちょっと「イロモノ?」的な扱いではなかったかとか、勝手に想像してしまいます。

ジョセフがドイツのサーカス団の一員として英国を巡業していた1914年に第一次世界大戦が勃発し、敵国民であったことから逮捕、収監されてしまいます。そして収監先のマン島(イギリス)にて、一緒に収監された仲間たちに自身の経験に基づくワークアウトを提供したことが、ピラティスが生まれるきっかけになったとされます。


終戦を迎え、晴れて自由の身となったジョセフは、継続して独自の運動法を啓蒙していきます。その活動がドイツ軍の目に留まりますが、軍のためにそれを活用する求めには応じずに、1926年渡米し、ニューヨークで独自のアプローチを昇華させます。 この時のジョセフの心境を想像すると、彼の考えは先進的すぎたむきもあり、歯がゆい思いをしただろうと考えられます。


そして、ニューヨークを拠点として、1967年に86歳で永眠するまで、自身の革新的メソッドを信念のもと啓蒙していったと推察します。

以下ににピラティスの歴史に関する動画サイトです。是非ご参考にされてください。


4. 「コントロロジー」

後に自身の名前を冠して発展することになるジョセフのメソッドを彼はコントロロジーと呼びました。ここでは詳しく触れませんが、基本とした概念は以下のようなものだそうです。 ・呼吸 ・センタリング ・流動性 ・フロー ・正確さ ・集中

また動物などの原始的な動きにヒントを求めたのも特徴といえます。


5. 怪我のケアとしてのピラティスのはじまり

ジョセフは、ニューヨークで居を構えてスタジオをスタートさせますが、バレエ団の施設などとも隣接していた場所柄から、怪我の回復や予防を目的とするダンサー達がいち早くこれに注目したと言われます。そうした背景から、リハビリの一環としての存在を認識されるところになったのでしょう。

6. 「10回で違いを感じ、20回で見た目が変わり、30回で体のすべてが変わる!」

上記の言葉はジョセフの言葉として伝えられているものですが、私自身はこの言葉の意味を、精度の高い動きを反復することで、体得していくことの重要性を説いたものと解釈しています。機能性の選択は、能動的な反復によって学習される、運動学習の段階と合致します。


さて、今回は、ピラティスの歴史に関してご紹介いたしました。次回以降では実践に活用できるようにピラティスとリハビリテーション、筋膜や動作など奔放に個人として思うところをこちらで書いていこうと思います。

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「幸福に最も必要なものは身体の健康である」


有名なジョセフの言葉です。

ピラティスは「体が本来持っている機能を正しく使うためのエクササイズ」であり「多機能な体を正しく使うためのコントロール法」を学ぶことです。


ゆっくりとした静かな動きで、筋肉を正しく使うことを学びます。全て呼吸と連動させていきます。なぜなら、私達は普段、常に呼吸をしながら体を動かしているからです。


骨格や筋肉の付き方、関節の可動域などは人それぞれ違います。自分の体にあった使い方、動かし方を知ることが大切です。その体との対話の手助けとなるのが、私達でありたいと思っております。


ビーキューブ®︎は全てのお客様と生涯にわたる関係構築を目標にしています。 初めての方は、無料コンサルティング= ASSESSMENT にお越しください。